付着

 子供の頃、何か不浄のものが「付いて」しまい、囃し立てられた思い出は誰にでもあるはずだ。すなわち汚いのである。ケガレ。それに対抗するべく我々は、現代の科学では説明できない超常完全防御装置−私らの世代は「バリア」と称した−それを「張り」つつ距離を置くのであった。ただ逃げられるのならまだしも、「付いた」当人に一層の屈辱感がもたらされるのは言うまでもない。
 ただ、そういう状況を久しぶりに目にしたまで。今が旬の、アサガオの植木鉢に関するケガレだったようだ。懐かしみと悲しみに暮れた。普通この歳になって遭遇するものではない。都では更なり。
 「汚くないって」。いや、それは私も汚いと思う。